時空ツアー 55 · 地上の層 · ヨーロッパ · Vasa · Fact sheet
ヴァーサ号 事実の表
1628年8月10日、スウェーデン王の新しい戦艦ヴァーサ号は、ストックホルムの港を出てすぐに沈みました。333年後に引き揚げられた船は、いまも約98%が当時の木材のまま博物館にあります。ただし船の中には入れず、木は酸とゆがみに傷みつつあります。ツアーの土台になる調査台帳です。各項目に確かさの印と出典を付け、テロップ台本と「1628年といま」の違いもまとめています。
層 地上の層 · ヨーロッパ舞台 1628年8月10日(出航の日)/現在場所 スウェーデン ストックホルム ユールゴーデン島(ヴァーサ博物館)座標 59.328°N 18.091°E(ヴァーサ博物館)更新 2026-10-23
亡くなった人々への敬意 この沈没では約30人(資料により30〜50人)が亡くなりました。ツアーでは沈む様子を劇的に見せず、遺骨(少なくとも17人分が見つかっている)は描きません。人の姿と顔も描いていません。彫刻は博物館の写真や実物を写さず、模式として自分で描いた形です。
「確か」は、ヴァーサ博物館(スウェーデン国立海事・交通史博物館群)の公開資料、査読論文、百科事典で確かめられたもの。死者数・乗っていた人数・彫刻の数のように資料で幅がある数字や、復元した帆柱の高さは「説・推定」にしています。Wikipedia だけが出典の数字(幅)も「説・推定」です。
ナレーションなし・テロップのみ。1場面13〜16秒、全11場面で約2分41秒の試作版です。沈む場面は遠くから静かに見せ、船が消えたあとは水面だけを映します。
1628年(出航の日)
推定復元 · ストックホルムの港
- 3本の帆柱と斜めの帆柱。帆は10枚のうち4枚を張る(どの帆かと形は模式)
- 船体は木の色。2列の砲門の内側は赤(彫刻と飾りの色は模式)
- 船尾と船首に彫刻(自分で描いた模式。実物の写しではない)
- まわりは港と島々。岸・島・建物の形と位置は模式
- 人の姿は描かない
いま(ヴァーサ博物館)
1990年開館 · 現在
- 暗く保った館内。温度18.5℃前後・湿度53%前後
- 船はPEGで保存され、こげ茶色。帆柱は下の部分だけ
- 船の下に、取り替え中の鋼の受け台(27個。形と位置は模式)
- まわりに見学用の何層もの回廊(模式)
- 屋根の上の帆柱が、もとの帆柱の高さを示す
ツアーでは同じカメラ位置のまま、この2つを切り替えて見比べられます。船の長さ・高さ・甲板の数・大砲の数は資料の数字に合わせ、船体の曲線、彫刻、港の地形、館内の作りは模式です。潜水鐘(1663〜1665年)と引き揚げ(1961年)の場面は、どちらの切替でもその時の様子で見せます。
2026-10-23
独立の事実確認:事実の表53項目とテロップ38行を、ヴァーサ博物館の公式頁(年表・沈没・査問・兵器・FAQ・音声ガイド・教員向け資料・保存の年表・新しい支え・遺骨)、Sandström ほか2002(Nature)、Almkvist・Persson 2008、ブリタニカでもう一度確かめ、9項目と1行を直した。契約の相手を「ヒベルトソン兄弟(設計のヘンリクと資材のアーレント)」に、造船所の人数を約300〜400人の幅に、彫刻の約500(1/10模型の数)を外し、乗っていた女性や子どもを「乗組員の家族」から「客」に、乾燥の始まりを1979年に、死者を博物館FAQの約30〜50人も併記に直した。長さ69m・高さ52m(FAQは52.4m)は博物館の値で確かめた。幅11.7mは博物館の資料に見つからず、補助資料の値のまま。新しい受け台がいま何個入ったかは公開資料で確かめられなかった。沈む場面の見せ方、人・顔・遺骨を描かないこと、追悼の一行はそのまま。
2026-10-23
検証:事実の表53項目とテロップ38行を、ヴァーサ博物館の公開資料(年表・沈没・査問・FAQ・保存の年表・新しい支え)、査読論文(Sandström ほか2002、Almkvist・Persson 2008)、ブリタニカと突き合わせた。依頼の数字のうち、死者「約30人」は博物館FAQが当時の手紙の30・40・50人を挙げるため「説・推定」に。「彫刻約700」は博物館の資料でも約500〜約1,200と幅があるため「説・推定」に。「査問は誰も責めなかった」は博物館の査問の頁(誰も公式に責められず罰せられず)で確かめ、年表にある「亡くなった造船匠の責任とする記録」も併記した。遺骨は博物館の研究頁の「少なくとも17人」に合わせた(Wikipedia は15人+4人)。幅11.7mは Wikipedia だけが出典のため「説・推定」。
2026-10-23
試作:3DCGのツアーを作成(ガイド/自由に歩く、1628年(出航の日)といま(ヴァーサ博物館)の切替、確かさ表示、出典、録画モード)。船体・帆柱・彫刻・港・館内・受け台はすべて手続き的に描いた模式。博物館の写真や実物の彫刻は写さず、彫刻は幾何学的な枠の模式にした。沈む場面は遠くから、船が静かに薄れて消える見せ方にし、次の場面は水面と印だけにした。人の姿・顔・遺骨は描いていない。エンドロールに追悼の一行を入れた。
2026-10-23
台本:11場面のテロップを作成。潜水鐘(1663〜1665年)と引き揚げ(1961年)はどちらの切替でもその時の様子で見せ、保存と現在の2場面は博物館で見せる。6場面目「失われた命」で人数の幅とわからなさを示した。
2026-10-23
調査:ヴァーサ博物館(スウェーデン国立海事・交通史博物館群)の年表・沈没・査問・兵器・FAQ・音声ガイド・教員向け資料・保存の年表・新しい支えの頁、Nature 2002年の論文と解説、Holzforschung 2008年の論文、ブリタニカを中心に、Wikipedia を補助として事実の表を作成。依頼の日付と数字(1626〜1628年、約1,300m、1628年8月10日、2層の砲列甲板と64門、1663〜1665年、1956年、1961年4月24日、PEG 17年、1990年開館、約98%)はすべて博物館の資料で確かめた。
2026-10-23
企画の芯:地上の層・ヨーロッパの部屋。入れない理由は「船は博物館にあるが中には入れず、木は酸とゆがみで傷みつつある。1628年の姿は一日も残らなかった」。切替は1628年(出航の日)といま(ヴァーサ博物館)。約30人が亡くなった出来事として、劇的にせず、遺骨も描かない。