時空ツアー 46 · 地上の層 · アメリカ大陸 · Tikal · Fact sheet
ティカル 事実の表
グアテマラ北部ペテンの森の中に、古典期マヤの大きな都ティカル(古い名はヤシュ・ムタルとみられる)がありました。最盛期は600〜850年ごろ。900年代に人が去り、いまは熱帯の森に神殿の頂だけが突き出し、当時の都の姿には入れません。ツアーの土台になる調査台帳です。各項目に確かさの印と出典を付け、テロップ台本と「750年頃といま」の違いもまとめています。
層 地上の層 · アメリカ大陸舞台 600〜850年ごろ(最盛期)/現在場所 グアテマラ ペテン県 ティカル国立公園座標 17.222°N 89.623°W(大広場。UNESCO:17°13′N 89°37′W)更新 2026-10-23
この場所について マヤの人々は過去の民ではなく、いまもグアテマラやメキシコなどで暮らしています。ツアーでは石碑や碑文の文字は写さず、無地の模式で描いています。いけにえや埋葬の場面は描かず、神殿Iの王の墓は一行で触れるだけにしています。人の顔は描かず、人の姿も描いていません。
「確か」は公的機関(UNESCO、グアテマラ文化スポーツ省の発表)、博物館・大学の調査報告、査読論文で確かめられたもの。碑文の読みに頼る王の名や在位年、建てた目的、人口などは「説・推定」にしています。Wikipedia は補助で、単独で「確か」の根拠にはしていません。「ティカル」「大ジャガーの神殿」、堤道の名は後世の呼び名です。
ナレーションなし・テロップのみ。1場面13〜16秒、全11場面で約2分40秒の試作版です。テロップの文と印は、ツアーの画面と同じです。
最盛期(750年頃)
推定復元
- 中心部の森は切り開かれ、白い漆喰の広場と堤道
- 神殿は赤く塗られていたとみる(色の配分は推定)
- 神殿Iはできたばかり。神殿IVは建てられて間もないころ
- まわりに中庭を囲む家の群れと畑(数・並び・屋根の形は推定)
- 貯水池に水が張られている
- 人の姿は描かない
いま(国立公園の森)
ティカル国立公園 · 現在
- 高さ30〜40mほどの森が都をおおう(高さは模式)
- 大広場と中心部は切り開かれ、芝と灰色の石
- 神殿の頂が森の上に突き出す
- 神殿IVには見学用の木の階段(位置は模式)
- 家の跡は森の下の低い塚。貯水池は湿地
- LiDAR の場面では、森を透かした地面を模式で見せる
ツアーでは同じカメラ位置のまま、この2つを切り替えて見比べられます。神殿の高さと、大広場をはさむ配置は資料の数字に合わせています。神殿どうしの距離、堤道・貯水池の位置、家並み、土塁の線は実測図ではなく模式です。
2026-10-23
事実の見直し(別の担当による確認):51項目と11場面のテロップを、UNESCO(64)、Canuto ほか2018(本文と表4・6・10)、ペンシルベニア大学博物館の Expedition 誌、Stuart、Martin(PARI Journal)、グアテマラ文化スポーツ省の発表(AGN 経由)と照合した。直したのは2項目:695年の勝利は Martin 2005(PARI Journal 6(2))でイチャーク・カックの敗北を確かめられたので「確か」に上げ、相手を王の名で書いた。「川も湖もなく」は挙げた出典に書かれていないため、「広場や道に降った雨水を集めた」に改めた。神殿I(Coe は145フィート≒44m)、神殿IV(212フィート≒65m、70mの資料もある)、最後の石碑869年(Coe 1965 は879年)、562年(勝者は不明と Martin)、378年(Stuart は1月の到来と同じ日の王の死を読む。日の換算は Stuart の記事の中でも14日と16日で揺れるため「1月」のまま)、防御の数字(表10:139・10系統・18,603m)は表のとおりで変えなかった。人の姿・顔・いけにえ・埋葬の場面はなく、石碑は無地の模式のまま。
2026-10-23
試作:3DCGのツアーを作成(ガイド/自由に歩く、最盛期(750年頃)といま(国立公園の森)の切替、確かさ表示、出典、録画モード)。神殿・アクロポリス・堤道・貯水池・家並み・森は手続き的に描いた模式で、神殿の高さだけ資料の数字に合わせた。LiDAR の場面は森を透かした地面を模式で見せる。人の姿と顔、いけにえ、埋葬の場面は描かず、石碑は文字のない無地の模式にした。
2026-10-23
台本:11場面のテロップを作成。2場面目に「いまも続く人々」を置き、マヤの人々が過去の民ではないことを先に伝えた。テオティワカンの到来は碑文の記録(確か)と解釈(説)を分け、2021年の区画は目的を「わかっていない」とした。
2026-10-23
調査:UNESCO(64)、グアテマラ文化スポーツ省の発表(国営通信 AGN 経由)、Canuto ほか2018(Science)、ペンシルベニア大学博物館の Expedition 誌とティカル計画の記録、Stuart、Martin(PARI Journal)、Webster ほか2007、Silverstein ほか2009、シンシナティ大学・NSF の発表を中心に、Wikipedia を補助として事実の表を作成。依頼の数字を出典と照合し、神殿Iは「約47m」ではなく「約44〜47m(資料で違う)」、神殿IVは「約65〜70m」とした。最後の石碑は869年(UNESCO。古い報告は879年)。562年の敗戦は勝者がはっきりしないため、カラクムルの勝利とは書かず「説」に分けた。695年の勝利は Wikipedia 以外の出典を確かめきれなかったため「説・推定」。LiDAR の「隠れた防御網」は、論文の表の数字(ティカルの都の範囲で139の防御施設・約18.6km)に合わせ、大きな土塁には水を集める溝とする反対の説も並べた。メンデスとトゥットの役職は資料で食い違うため書かなかった。
2026-10-23
企画の芯:地上の層・アメリカ大陸の部屋。入れない理由は「最盛期の都は消え、いまは熱帯の森に神殿の頂だけが突き出す国立公園」。切替は最盛期(750年頃)といま(国立公園の森)。マヤの人々をいまも続く人々として扱い、碑文は写さない。