時空ツアー 33 · 地上の層 · アメリカ大陸 · Tenochtitlan · Fact sheet
テノチティトラン 事実の表
メキシコ盆地のテスココ湖に浮かぶ島に築かれた、メシカ(アステカ)の都。いまはメキシコシティの地下に眠り、湖も干上がって、そのままの姿では入れません。ツアーの土台になる調査台帳です。各項目に確かさの印と出典を付け、テロップ台本と「1519年ごろの推定復元といま」の違いもまとめています。
層 地上の層 · アメリカ大陸舞台 1325年ごろ〜1521年/現在場所 メキシコ メキシコシティ歴史地区座標 19.435°N 99.131°W(テンプロ・マヨール)更新 2026-10-16
伝承の印が付いた行は、メシカの建都の言い伝えです。確かさの印は「そう語り伝えられていること」に付けています。征服と戦いは事実だけを短く書き、人の姿は描きません。
「確か」は公的機関の記録・遺構・発掘で確かめられるもの。人口や大きさの数字は推計に幅があるため「説・推定」にしています。伝承の行は、語られている中身ではなく「語られていること」が確か、という意味です。
ナレーションなし・テロップのみ。1場面13〜16秒、全11場面で約2分40秒の試作版です。
1519年ごろの都
推定復元
- 都は湖に浮かぶ島。まわりは水
- 3本の堤道と、チャプルテペクからの水道
- 島のまわりにチナンパ(細長い畑)と水路
- 中心の聖域にテンプロ・マヨール(2つの祠)
- 家並み・聖域の配置・色は推定。人の姿は描かない
いま
地下に眠る遺跡と大都市 · 現在
- 湖はほとんど干上がり、街が一面に広がる
- 聖域の跡とそのそばに、大聖堂とソカロ(中央広場)
- 大聖堂の東に、掘り出されたテンプロ・マヨールの遺跡
- 南のソチミルコに、水路とチナンパが残る
- 1987年に世界遺産。街並みの形は模式
ツアーでは同じカメラ位置のまま、この2つを切り替えて見比べられます。島の形と大きさ、聖域の大きさ、街のブロックは実測図ではなく模式です。
2026-10-16
見直し(残りの行):前回照合していない行を中心に、全45行を出典と照合した。神殿の高さを「約60mとする資料」から「INAH と発掘責任者の推定で約45m、資料により約27〜60m」に、聖域の境を「壁」から「四方を区切る大きな基壇(約350m四方)」に、人口を「約20万〜40万人」から「約10万〜40万人」に直した。「月の女神」は1978年の行から外して説の行に分け、石は INAH の直径3.25m・約8トンに揃えた。第1期が地下水の下という理由、天然痘の「10月末」、包囲開始の「5月26日ごろ」は公的・学術的な出典で確かめられず、「未発掘」「秋(9〜10月ごろ)」「5月下旬」に改めた。堤に「1449年ごろ」を加え、祠の色は発掘の跡とツアーの描き方に書き直した。ブリタニカ「Tenochtitlán」に書かれていない行が多かったため出典を差し替え、INAH 博物館・遺跡ガイド、López Luján、UNAM、学術論文、NASA などを加えた(13件→37件)。開けず記録も見つからないスミソニアン誌の一覧と、Arqueología Mexicana のトップページは外した。テロップは陥落と犠牲を2行に分け、月の女神の見方を説の行で加えた。3Dの人口ラベルを直し、エンドロールの長さを出典の数に合わせた。
2026-10-16
見直し:別の担当が出典と照合。人口を「約5万〜20万人以上」から「約20万〜40万人」(ブリタニカ・Wikipedia)、都の広さを「約13〜15km²」から「約8〜13.5km²」、堤を「約16km・15世紀半ば」から「約12〜16km・1453年ごろ完成」、神殿の高さを「約45m」から「約60mとする資料」(ブリタニカ)に直した。「最古の段階は建都直後」は誤りで、第1期は地下水の下で未発掘、見える最古の第2期は1375〜1427年ごろ、と分けた。建都の年の「1345年ごろとする説」は出典で確かめられず、「正確な年ははっきりしていない」に改めた。1520年の脱出と天然痘、1521年の包囲開始の日付を補い、1978年2月21日の発見・直径約3.25m・2006年・1607年の出典を具体的なページに差し替えた。スミソニアン誌の一覧ページと Arqueología Mexicana のトップページは補助に下げた。
2026-10-16
試作:3DCGのツアーを作成(ガイド/自由に歩く、1519年ごろといまの切替、確かさ表示、伝承の印、出典、録画モード)。人の姿は描かず、征服は事実だけを短く。エンドロールに、包囲と疫病で亡くなった人々への一文を入れた。絵文書の図は写さず、自前の模式だけで描いた。
2026-10-16
台本:11場面のテロップを作成。建都のワシとサボテンは「伝承」の印を付けて、建都の年(説)と分けた。
2026-10-16
調査:UNESCO(412)、INAH とテンプロ・マヨール博物館、ブリタニカ、Arqueología Mexicana、スミソニアン誌の記事を中心に、Wikipedia を補助として事実の表を作成。人口は推計の幅で示した。時間の制約から、一部の数字(堤の長さ、神殿の高さ、都の広さ)は資料の照合が浅く「説・推定」に置いた。
2026-10-16
企画の芯:地上の層・アメリカ大陸の部屋。入れない理由は「いまの大都市の地下に眠り、湖も干上がった」。切替は1519年ごろの都(推定復元)といま(地下に眠る遺跡と大都市)。