Mausoleum of the First Qin Emperor · Fact sheet · 時空ツアー 28
秦の始皇帝陵 事実の表
前210年に始皇帝が葬られた陵と、その東に並ぶ兵馬俑坑をたどるツアーの調査台帳です。『史記』に書かれた地下宮殿の姿と、発掘されないまま調べられてきた「いま」の姿を分けて、各項目に確かさの印と出典を付けています。
舞台 前246〜前210年(造営)〜現在場所 中国陝西省西安市臨潼区座標 34.381°N 109.254°E(墳丘)更新 2026-10-16
墳丘の下の地下宮殿は発掘されていません。ツアーの地下宮殿は『史記』の文から描いた想像の模式で、出土したものではありません。史料に書いてあることは「確か(史料にそう書いてある)」とし、それが実在するかは別に扱います。史記にある殉死や工匠の閉じこめは事実の表にだけ記し、映像では描きません。
「確か」は公的機関・博物館の公開資料、論文、報道された調査結果、史料の本文で確かめられるもの。「史記の地下宮殿」の項目が「確か」なのは、史記にそう書いてあるという意味で、地下宮殿が本当にそうなっているという意味ではありません。地下宮殿の大きさ・深さは探査からの推定なので「説・推定」です。S15(Wikipedia)は補助で、単独の出典にはしていません。
ナレーションなし・テロップのみ。1場面13〜15秒、全11場面で約2分40秒の試作版です。本番の約9分版は、各場面のテロップを増やして伸ばします。
史記の記述にもとづく地下宮殿(想像の模式)
司馬遷『史記』秦始皇本紀 · 前1世紀
- 地下水の層を三つ掘り抜き、銅を流して棺の室を固めた
- 宮殿・楼観・百官、珍しい宝物で満たした
- 水銀の百川・江河・大海を、機械で流した
- 上に天文、下に地理。人魚の膏の灯
- 近づく者を射る弩の仕掛け
- ツアーでは地面を透かして見せる。形・配置・色はすべて想像
いま(発掘されていない墳丘と兵馬俑坑)
1987年 世界遺産 · 秦始皇帝陵博物院
- 墳丘は木々に覆われた丘。中は発掘されていない
- 墳丘の土と上空の空気で、高い水銀値が測られている
- 探査で、地下宮殿の大きさと深さが推定されている
- 東の兵馬俑坑や周りの陪葬坑は、発掘と公開が進む
- 国は大型の帝王陵を、当面は自ら発掘しない方針
| 比べる点 | 史記の記述 | いまわかっていること |
| 水銀 | 水銀で百川・江河・大海をつくり、機械で流した(史記に書いてある) | 墳丘の土と空気で高い水銀値(確か)。川の形で残るかはわかっていない |
| 深さ | 「三泉を穿つ」=地下水の層を三つ掘り抜いた(史記) | 地表から約35mと推定(説・推定)。20〜50mと幅がある |
| 中身 | 宮殿・百官・珍宝、天文と地理、人魚の膏の灯(史記) | 誰も見ていない(わかっていない) |
| 守り | 近づく者を射る弩の仕掛け(史記) | 確かめられていない(わかっていない) |
| 外の姿 | 草木を植えて山のように見せた(史記) | 木々に覆われた丘。高さ51.3m(ユネスコ) |
墳丘の高さ、資料ごとの値
『漢書』「五十余丈」の換算(説)100m超
辞典・堺市の資料76m
ユネスコの記載51.3m
ブリタニカ(辞典)43m
地下宮殿の深さ(推定)約35m
ツアーでは「史記の記述にもとづく地下宮殿(想像の模式)」と「いま(発掘されていない墳丘と兵馬俑坑)」を切り替えて見せます。前者では地面を半透明にし、地下に想像の宮殿を置きます。水銀の川は銀色の流れる線の模式です。墳丘・城壁・坑の位置と大きさは公表値をもとにした模式です。
2026-10-16
題材決定:時空ツアー 28 として、秦の始皇帝陵を選定。入れない理由は、墳丘と地下宮殿が発掘されていないこと。見せ場は、『史記』が書く地下宮殿(想像の模式)と、測って推定した「いま」の切り替え。
2026-10-16
企画の芯:億ションのルームツアー風/史料に書いてあることと、実在が確かめられたことを分ける/地下宮殿は想像の模式と画面に明示し、発掘された事実のようには見せない/兵馬俑は顔のない模式の人形/殉死や工匠の閉じこめは映像で描かない/まずは非公開。
2026-10-16
調査:ユネスコ 441、史記の本文、水銀の論文(2020年 Scientific Reports、2005年『物探与化探』)と1983・2008年の報告、2003年の863計画の発表、1997年の国務院通知を伝える記事、2026年9月の博物院名誉院長の発言、人民日報・中国社会科学網・梅建軍氏の講演記録、辞典類を確認。墳丘の高さは資料で差があるため、ユネスコの51.3mを基準にほかの値を説として併記。事実の表と台本11場面を作成。
2026-10-16
試作:3DCGのツアーを作成(ガイド/自由に歩く、史記の地下宮殿といまの切替、確かさ表示、出典、録画モード)。地下宮殿・水銀の川・星の天井・灯・弩はすべて「想像の模式(史記の記述による)」の札つき。
2026-10-16
見直し:全58行を出典と照合。墳丘の底の東西・南北は資料で逆の値があるため併記し、3Dの寸法線も「約345〜350m」に。陪葬坑の数(S9)は「陵園の中/外城の外」に訂正。2016年のレーザー測定は論文の値(22〜27ng/m³)に、名誉院長の「70多倍」は「70倍余り」に。兵馬俑の7000体余りは出土数と書かれていないため言い換え。盗掘は「確かめられていない」に改め、テロップと印をそろえた。K0007(2000年発見・外城の東北)とK9801(1998年試掘・内外城の間)の年と位置を追記し、水禽坑の3Dの位置を外城の東北へ移動。工期・「宮観百官」・天文と地理の訳、S7・S11の題名を修正。出典 S16〜S18 を追加、S14 に原文URLを付記。