時空ツアー 58 · 地上の層 · アメリカ大陸 · James Fort, Jamestown · Fact sheet
ジェームズタウン砦 事実の表
1607年、ポウハタンを長とする国ツェナコモコの土地、ジェームズ川の島に、イギリスから来た人々が三角形の柵の砦を建てました。砦は川に削られて消えたと長く信じられましたが、1994年からの発掘で陸の上に見つかりました。当時の砦はもう立っておらず、その姿には入れません。ツアーの土台になる調査台帳です。各項目に確かさの印と出典を付け、テロップ台本と「1608年ごろといま」の違いもまとめています。
層 地上の層 · アメリカ大陸 舞台 1607〜1619年/現在 場所 アメリカ合衆国 バージニア州 ジェームズタウン島 座標 約37.209°N 76.777°W 更新 2026-10-23
この場所について ツェナコモコは、独自の歴史をもつ部族の国々の連合です。この作品では「背景」ではなく、同じ重さの歴史として扱います。パムンキー、マタポニをはじめ、その人々はいまも続いています。ツアーでは人の姿・顔、遺骨や埋葬は描きません。博物館の復元模型や写真は写さず、すべて自分で描いた模式です。
事実の表
テロップ台本
1608年ごろといま
出典
制作記録
すべて
確か
説・推定
わかっていない
「確か」は国立公園局、ヒストリック・ジェームズタウン(Jamestown Rediscovery / Preservation Virginia)、Encyclopedia Virginia、バージニア州政府、部族の公式サイトなどの記録や、発掘で確かめられたもの。人口や日数のように推計・数え方で幅がある数字は「説・推定」にしています。「飢えの時(Starving Time)」は当時の記録にもとづく呼び名です。Wikipedia は使わず、1996年の発表は当時の新聞記事で確かめました。
ナレーションなし・テロップのみ。1場面13〜17秒、全11場面で約2分40秒の試作版です。
1608年ごろ(三角の砦) 推定復元
三角形の柵。辺の長さは記録と発掘に合わせる(川側約128m、ほか2辺約91m)
三つの角に大砲の台(形は推定)
中に倉庫、教会、家々(形・数・並びは推定)
川に3隻の船(形は模式)
まわりは森と湿地。川上にパスパヘイの町(位置・家の数は模式)
人の姿と顔は描かない
いま(発掘された砦の跡) ヒストリック・ジェームズタウン · 現在
芝生の上に、2023年に立て直された柵
川沿いの柵の一部は水の下(範囲は模式)。岸に護岸
発掘の区画(位置は模式)
17世紀のレンガの教会の塔と、1907年の記念教会
博物館などの建物(形と位置は模式)
墓や遺骨は描かない
ツアーでは同じカメラ位置のまま、この2つを切り替えて見比べられます。砦の三辺の長さは資料の数字に合わせ、建物・船・町・畑は模式です。方角や岸の線も模式で、実測図ではありません。
2026-10-23
校閲:事実の表53項目とテロップ45行を、国立公園局、ヒストリック・ジェームズタウン、Encyclopedia Virginia、Library of Virginia、バージニア州政府、パムンキー部族の公式サイト、Science 誌の干ばつ研究(ScienceDaily)で照らし合わせ、10項目・4行を直した。川に失われた範囲を「一つの角だけ」から「大半は陸に残り、失われたのは南の柵の半分ほど(約2割〜約13%)」に改め、Wikipedia の代わりに1996年9月13日の新聞2紙で9月12日の発表を確かめた。ホワイト・ライオン号は国立公園局に従い「オランダの私掠免許を持つイギリスの私掠船」とし、奴隷船はポルトガルの船とした。パスパヘイは「いちばん近い」を「近くに住む」に、包囲が解けた時期を「5月初め」から「5月」に、護岸を1900〜1902年に直した。パムンキーは2015年7月2日発表・2016年1月28日発効、上マタポニなど6部族は2018年1月の Thomasina E. Jordan 法と明記した。約19日は案内板の数字で、同じ団体の「約3週間」と合うが、数え始めがわからないため「説・推定」のまま。上陸5月14日・104人の男性と少年は確か。あわせてツアーの札「川に失われた角」を「川に失われた部分」に、見比べの「川側の西の角は水の下」を「川沿いの柵の一部は水の下」に改めた(形と描画は変えていない)。
2026-10-23
試作:3DCGのツアーを作成(ガイド再生/自由に歩く、「1608年ごろ(三角の砦)」と「いま(発掘された砦の跡)」の切替、確かさ表示、出典、録画モード)。砦の三辺の長さは資料に合わせ、建物・船・パスパヘイの町・畑は手続き的に描いた模式。人の姿と顔、遺骨・埋葬は描かず、博物館の復元や写真は写していない。エンドロールに追悼の一行を入れた。
2026-10-23
台本:11場面のテロップを作成。2〜3場面目をツェナコモコとパスパヘイの町にあて、上陸より前から続く先住民の国の歴史として置いた。「飢えの時」は数字と理由だけを短く書き、むごい描写はしない。1619年はアフリカの人々の到着を事実として記し、身分がはっきりしない点は「わかっていない」とした。
2026-10-23
調査:国立公園局、ヒストリック・ジェームズタウン(Jamestown Rediscovery / Preservation Virginia)、Encyclopedia Virginia、Library of Virginia、バージニア州政府、パムンキー部族の公式サイト、Science 誌の干ばつ研究(1998年)などで事実の表を作成。依頼の数字を照合し、上陸5月14日・104人は確か。「約19日」は発掘チームの案内板にある数字だが、同じ団体の別資料は「約3週間」とし、5月14日から完成の6月15日までは32日あるため「説・推定」とした。飢えの時の人数は約240人(Encyclopedia Virginia)と約300人(公式サイト)で食い違うため両方を記した。1619年の船は国立公園局が「イギリスの私掠船」、ロルフの手紙は「オランダの船」と書く。マタポニは州の承認で、連邦の承認は受けていない(上マタポニは別の部族で連邦承認)。
2026-10-23
企画の芯:地上の層・アメリカ大陸の部屋、時空ツアー 58。入れない理由は「砦は17世紀のうちに使われなくなり、川に沈んだと思われていた。いまは跡と立て直した柵だけ」。切替は1608年ごろ(三角の砦)といま(発掘された砦の跡)。先住民の国を同じ重さの歴史として描く。