Dejima, Nagasaki 1636–1859 · Fact sheet · 時空ツアー 22
出島 事実の表
長崎の港に築かれた扇形の人工島・出島を、オランダ商館があった19世紀初めの姿と、埋め立てで陸になったいまの姿の両方からたどるツアーの調査台帳です。各項目に確かさの印と出典を付け、テロップ台本と「商館の頃といま」の違いもここにまとめています。
舞台 1636〜1859年(復元は19世紀初めの姿)場所 長崎県長崎市出島町座標 32.7437°N 129.8728°E更新 2026-10-09
「確か」は長崎市・出島の公式資料、国立国会図書館の解説、公的な記録で確かめられるもの。往時の広さは資料によって約1万3000〜1万5000㎡と幅があるため「説・推定」にしています(史跡の指定面積15,012㎡は「確か」)。築造の始まりは1634年とする資料が多く、完成は1636年です。S17(コトバンク)・S18(Wikipedia)は補助で、それだけを出典にした「確か」の項目はありません。
ナレーションなし・テロップのみ。1場面11〜14秒、全11場面で約2分15秒の試作版です。本番の約9分版は、各場面のテロップを2〜3枚に増やして伸ばします。
オランダ商館の頃(19世紀初めの推定復元)
1641〜1859年 · 復元の基準は1809〜1833年ごろ
- 四方を海に囲まれた扇形の人工島。広さは約1万5000㎡(3,969坪)とされる
- 本土の江戸町とは、短い石橋(出島橋)1本だけでつながる
- 島内に60棟余りの建物と菜園。カピタン部屋がいちばん大きい
- 水門は南が輸入、北が輸出の出入口
- 建物の細部・色・配置の距離は、ツアーでは推定で描く
いま(埋め立てで陸になった街と復元事業)
1904年 扇形が消える · 2017年 出島表門橋
- 明治の港の工事で周りが埋め立てられ、街の中の一区画になった
- 北側は中島川の付け替えで約18m削られ、川幅は約5mから約30mに
- 1951年から復元整備。2016年までに16棟の建物を復元
- 2017年、長さ38.5mの出島表門橋で、約130年ぶりに江戸町とつながった
- 長期計画では、四方に水面を取り戻し扇形の島に戻すことをめざす
| 比べる点 | オランダ商館の頃 | いま |
| まわり | 四方が海(確か) | 埋め立てで陸続き。北に中島川(確か) |
| 広さ | 約1万5000㎡とされる(説・推定) | 史跡の指定地15,012㎡、追加指定613.5㎡(確か) |
| 本土との橋 | 出島橋:石のアーチ橋、長さ約4.5m(確か) | 出島表門橋:鋼の橋、長さ38.5m・幅4.4m(確か) |
| 建物 | 60棟余りと菜園(確か)。細部は推定 | 復元16棟と明治の洋館など(確か) |
| 扇形の輪郭 | はっきり見える(確か) | 1904年に失われた。南側の石垣131mを整備(確か) |
橋と川幅を並べると
旧出島橋 長さ約4.5m
江戸時代の川幅約5m
いまの川幅約30m
出島表門橋 長さ38.5m
ツアーでは「オランダ商館の頃(19世紀初めの推定復元)」と「いま(埋め立てで陸になった街と復元事業)」を切り替えて見せます。島の形・建物の数と配置は、公式資料の説明をもとにツアー用に整えた模式で、実測図ではありません。いまの街並みも、高さや並びを単純化した模式です。
2026-10-09
題材決定:時空ツアー 22 として、長崎の出島(1636〜1859年)を選定。見せ場は、海に浮かぶ扇形の島と、埋め立てで陸の中に消えた輪郭、そして約130年ぶりに架かった橋。
2026-10-09
企画の芯:億ションのルームツアー風/公式資料を土台に、足りない所は推定で補い画面に明示/人物は顔のない簡略なシルエットだけ/川原慶賀の絵は使わず、自分で描いた模式図で代える/まずは非公開。
2026-10-09
調査:出島公式サイト(歴史・建物の紹介・復元整備事業)、長崎市の資料(「甦る出島」、市議会委員会資料、ナガジン)、国立国会図書館「江戸時代の日蘭交流」、中央区「長崎屋跡」、土木学会田中賞の表門橋の資料を確認。広さは資料ごとに差があるため「説・推定」とした。事実の表と台本11場面を作成。
2026-10-09
試作:3DCGのツアーを作成(ガイド/自由に歩く、商館の頃といまの切替、確かさ表示、出典、録画モード)。
2026-10-10
見直し:別の担当が出典と突き合わせ、商館廃止の年と「約130年ぶり」の表現を修正。