Daisen Kofun, Sakai · Fact sheet · 時空ツアー 27
大仙陵古墳 事実の表
宮内庁が仁徳天皇の陵「百舌鳥耳原中陵」として管理し、学術的には大仙(大山)古墳とも呼ばれる、日本最大の前方後円墳をたどるツアーの調査台帳です。各項目に確かさの印と出典を付け、テロップ台本と「築いた頃といま」の違いもここにまとめています。
舞台 5世紀中ごろ(築造時期は説)〜現在場所 大阪府堺市堺区大仙町座標 34.564°N 135.487°E更新 2026-10-16
陵墓は、いまも祭祀が続く場所です。このツアーでは墳丘に入った視点や埋葬施設の中は描かず、1872年の記録にある石室・石棺だけを、外から見た模式として示します。被葬者については、宮内庁の治定と、年代のずれを指摘する研究者の見方を並べ、どちらにも肩入れしません。
「確か」は公的機関の公開資料・発掘・記録で確かめられるもの。「世界三大墳墓」は堺市がそう紹介している、という事実として「確か」にしています。築造時期、築造時の長さ(約513m・525m以上)、埴輪や葺石の数、工期は、いずれも推定・試算なので「説・推定」です。S17(Wikipedia)は補助で、単独の出典にはしていません。
ナレーションなし・テロップのみ。1場面12〜14秒、全11場面で約2分20秒の試作版です。本番の約9分版は、各場面のテロップを2〜3枚に増やして伸ばします。
築いた頃(葺石と埴輪の推定復元)
5世紀中ごろ(説)
- 3段の斜面は葺石で覆われ、石の色がそのまま見えていた
- 段の平らな面と堤に、円筒埴輪が列になって並んでいた
- くびれ部の造り出しで、須恵器の大甕などを使った
- まわりは三重の濠。外濠の当初の形ははっきりしない
- 石の色、埴輪の間隔、まわりの景色は、ツアーでは推定で描く
いま(森に覆われた姿)
宮内庁が管理する陵墓 · 2019年 世界遺産
- 墳丘は木々に覆われ、森のように見える
- 墳丘には立ち入れない。南側の拝所から参拝できる
- 外濠は明治時代に掘り直されたもの(1896年とされる)
- まわりは住宅や道路が広がる市街地
- 濠のまわりを歩いて一周すると約1時間
| 比べる点 | 築いた頃 | いま |
| 墳丘の表面 | 葺石の斜面と埴輪の列(発掘で確か、見た目は推定) | 木々に覆われた森(確か) |
| 長さ | 約513m・525m以上とする見方(説・推定) | 公式の墳丘長は約486m(確か) |
| 濠 | 三重の濠(外濠の当初の形はわかっていない) | 三重の濠、外濠は明治の掘り直し(確か) |
| 埴輪 | 円筒埴輪2万9千本以上と推定(説・推定) | 堤などに埋もれた列が発掘で見つかる(確か) |
| 入れるか | (築造当時の儀礼の様子はわかっていない) | 墳丘は立入禁止、拝所から参拝(確か) |
長さを並べると
濠を含めた長さ約840m
築造時の推定(2018年報道)525m〜
築造時の推定(2023年報道)約513m
墳丘長(公式)約486m
履中天皇陵古墳約365m
ニサンザイ古墳約300m
ツアーでは「築いた頃(葺石と埴輪の推定復元)」と「いま(森に覆われた姿)」を切り替えて見せます。墳丘の形は公表されている寸法(約486m)をもとにした模式で、段の幅・濠の幅・まわりの古墳との距離はツアー用に整えています。1872年の石室と石棺は記録にもとづく外からの模式で、中のようすは描きません。
2026-10-16
題材決定:時空ツアー 27 として、大仙陵古墳(宮内庁管理の百舌鳥耳原中陵)を選定。見せ場は、葺石と埴輪の「築いた頃」と森に覆われた「いま」の切り替えと、被葬者・築き方の謎。
2026-10-16
企画の芯:億ションのルームツアー風/公的資料を土台に、足りない所は推定と画面に明示/陵墓は祭祀の場として敬意を持って扱い、墳丘内部や埋葬施設の中は描かない/被葬者は治定と学説を並べ、どちらにも肩入れしない/まずは非公開。
2026-10-16
調査:堺市の古墳データベース・文化財・報道資料、文化遺産オンライン、UNESCO 1593、観光庁の多言語解説文、宮内庁の測量・第1堤調査の報道(2018年・2023年)、2026年5月の「土壇」報道を確認。墳丘長は公式の約486mを使い、築造時の長さ(約513m・525m以上)は説として併記。事実の表と台本11場面を作成。
2026-10-16
試作:3DCGのツアーを作成(ガイド/自由に歩く、築いた頃といまの切替、確かさ表示、出典、録画モード)。
2026-10-16
見直し:作っていない別の担当が全項目とテロップを出典と突き合わせ。後円部の埋葬施設は「江戸時代の記録に石棺の記述が残るのみ」と書き直し、「赤色立体図」に用語を訂正。陵名の出典に宮内庁、比べ方に nippon.com、第1堤の調査に書陵部紀要を追加し、内容を支えていなかった出典の割り当て(S2・S6・S12)を外した。S5・S6 の書誌を訂正。