時空ツアー 56 · 地上の層 · アジア · Tang Chang'an · Fact sheet
唐の長安城 事実の表
隋の大興城として582年に造営が始まり、唐の都として栄えた長安城をたどるツアーの調査台帳です。碁盤の目の坊、朱雀大街、宮城と皇城、東西の市、大明宮、大雁塔、そして平城京・平安京とのつながりまで、各項目に確かさの印と出典を付けています。
層 地上の層 · アジア舞台 750年ごろ(唐の長安)/いま(西安)場所 中国 陝西省 西安市座標 34.25°N 108.94°E(朱雀門の跡あたり)更新 2026-10-23
「確か」は世界遺産センター・政府機関・公園の公式資料・研究者の論文や報告で確かめられるもの。Wikipedia(S22〜S24)だけを出典にしている項目は「説・推定」にしています。寸法は発掘の実測値を引く資料によりますが、朱雀大街の幅のように資料どうしで数字が揺れるものは、揺れごと載せています。「平城京の面積は長安のおよそ4分の1」は、資料の数字から本作で計算した目安です。
平城宮そのもの(大極殿・朱雀門・朝堂院)は 時空ツアー 25「平城宮 事実の表」 にまとめています。この表では、長安と日本の都を比べる項目だけを扱います。
ナレーションなし・テロップのみ。1場面12〜14秒、全11場面で約2分20秒の試作版です。本番の約9分版は、各場面のテロップを2〜3枚に増やして伸ばします。
750年ごろ(唐の長安)
582年 造営開始 · 618年 長安と改名 · 904年 解体
- 東西約9.7km・南北約8.7kmの外郭を、大通りが碁盤の目に区切る
- 北の真ん中に宮城、その南に皇城。朱雀門から朱雀大街が南へ延びる
- 東西に壁で囲まれた市。北東の外の高台に大明宮
- 坊の中の家並み、建物の上部の形・色はツアーでは推定で描く
いま(西安)
明の城壁 · 大明宮国家遺址公園 · 世界遺産(2014年)
- 明代の城壁(全長約13.74km)は、唐の皇城を土台に広げたもの
- 唐の外郭のほとんどは、城壁の外の市街地の下にある
- 大明宮の跡は2010年に公園になり、含元殿などの基壇が見られる
- 大雁塔はいまも立つ。高さ64.1m、明代に修復された姿
| 比べる点 | 750年ごろ | いま |
| 都の囲い | 外郭の周り約36.7km(確か) | 明の城壁 全長約13.74km(確か) |
| 朱雀門 | 皇城の南の正門(確か) | 跡は、いまの城壁の南の辺のあたりにあたる(説・推定) |
| 朱雀大街 | 幅約150〜155mとされてきた(説・推定)。最新の発掘では約130m、正確な幅はわかっていない | 跡は市街地の下にある(説・推定) |
| 大明宮 | 634年に建設開始、のちに宮廷の中心(確か) | 2010年に国家遺址公園(確か)。世界遺産の構成資産(確か) |
| 大雁塔 | 652年創建、はじめ5層。701〜704年ごろ建て直し(説・推定) | 7層・64.1m、明代の修復の姿(確か) |
| 坊と家並み | 108の坊(確か)。家並みの細部はわかっていない | 市街地の下。地上には残っていない(説・推定) |
都の東西の幅
長安 外郭約9.7km
平安京約4.5km
平城京(外京を除く)約4.3km
都の真ん中の大通りの幅
長安 朱雀大街約130〜155m
平安京 朱雀大路84m
平城京 朱雀大路約75m
破線は「説・推定」の値です。ツアーでは「750年ごろ(唐の長安)」と「いま(西安)」を切り替えて見せます。750年ごろの表示では、時期の違う建物(大明宮の含元殿、いまの7層の姿の大雁塔など)を同時に並べています。坊・家並み・建物の配置は、ツアー用に整えた模式です。平城京と平安京の輪郭は、資料の東西・南北の長さだけを同じ縮尺で重ねたもので、細かな形は省いています。
2026-10-23
題材決定:時空ツアー 56 として、隋の大興城・唐の長安城を選定。層と部屋は「地上の層 · アジア」。見せ場は、碁盤の目の巨大な都と、いまの西安の城壁との大きさの差、そして平城京・平安京を同じ縮尺で重ねること。
2026-10-23
企画の芯:億ションのルームツアー風/発掘の実測値と公的資料を土台に、家並みや建物の上部は推定と明示/博物館の復元模型や写真は写さず自作の模式で描く/人物の顔は描かない/まずは非公開。
2026-10-23
調査:UNESCO世界遺産センター(1442)、中国社会科学院考古研究所の研究者の報告、学術誌の論文、大明宮国家遺址公園の公式サイト、奈良文化財研究所の報告とパンフレット、観光庁・奈良県・京都府の資料、Britannica、『資治通鑑』の原文を確認。朱雀大街の幅(約150m/155m/実測130m)、大明宮の建設開始(634年/公園の年表は635年)、坊の数(108/109/110)は資料で揺れるため、揺れごと載せた。
2026-10-23
平城宮(時空ツアー 25)との関係:平城宮の中身はそちらに任せ、本作では長安と日本の都の比較(大きさ・大通りの幅・遣唐使)だけを扱うことにした。
2026-10-23
試作:3DCGのツアーを作成(ガイド/自由に歩く、750年ごろといまの切替、確かさ表示、出典、録画モード)。スマホ幅でテロップが操作欄に重ならないよう調整。
2026-10-23
事実の見直し(独立レビュー):57項目と43のテロップを、UNESCO(1442)、中国社会科学院考古研究所の研究者の報告、大明宮公園の公式サイト、奈良文化財研究所、Britannica、『資治通鑑』、論文で照合し、13項目を直した(うち2項目は出典の差し替えのみ)。朱雀大街の幅は「約150m」を、1950〜60年代の調査の150〜155mと2021〜22年の発掘の約130m(路溝を除く)に分けて書き直した(S5の「150」は歩でメートルではなかった)。大明宮の662年の造り直しは『資治通鑑』巻200で確認(663年の移居は補助資料のみ)。大雁塔は玄奘の願い出・はじめ5層・長安年間の建て直し(層の数は諸説)・高さの揺れ(64.1m/58m)を反映。遣唐使の回数は数え方に諸説があるため「19」を「十数回〜約20回」に。坊の塀と皇城の役所は考古研究所の報告で確かめ「確か」に上げた。平城京の面積比(約4分の1)、904年の遷都、明の城壁13.74kmは資料どおり。出典にS25〜S29を追加。