時空ツアー 45 · 地上の層 · アメリカ大陸 · Chan Chan · Fact sheet
チャン・チャン 事実の表
ペルー北部の砂漠の海辺に、チムー王国の都チャン・チャンがありました。日干しれんがと土の壁で囲まれた王の大囲いが並ぶ、アメリカ大陸で最大の土の都市です。いまは雨と風で壁が少しずつ溶け、屋根の下で守られている遺跡で、当時の姿には入れません。ツアーの土台になる調査台帳です。各項目に確かさの印と出典を付け、テロップ台本と「1400年頃といま」の違いもまとめています。
層 地上の層 · アメリカ大陸舞台 1400年ごろ(最盛期)/現在場所 ペルー ラ・リベルタ州トルヒーヨ座標 8.11°S 79.07°W(UNESCO:S8°6′28″ W79°4′29″)更新 2026-10-23
この場所について チャン・チャンは、チムーの人々が築いた都で、いまもペルーの人々が守り続けている遺跡です。ツアーでは埋葬や遺骨は扱わず、王の埋葬台は場所を示すだけにしています。人の顔や姿は描かず、壁の浮き彫りは修復された実物を写さず、自分で描いた簡単な模様(模式)にしています。
「確か」は公的機関(UNESCO・ICOMOS、ペルー文化省とその報告、ゲッティ保存研究所)の記録や、学術書・査読論文で確かめられたもの。都市の広さ・人口・壁の高さなど資料で数字に幅があるものや、建物の使い道の解釈は「説・推定」にしています。囲いの名(チュディ、ニク・アンなど)は後世の呼び名です。王の名や代々の話は、征服のあとにスペイン人が書き残した伝えによります。
ナレーションなし・テロップのみ。1場面13〜16秒、全11場面で約2分40秒の試作版です。
最盛期(1400年頃)
推定復元
- 大囲いの壁は高く、角がそろい、土の上塗りが明るい(高さは約9mまで)
- U字の部屋・倉庫・家並みに屋根(形と素材は推定)
- 浮き彫りの帯ははっきりしている(模様は自作の模式)
- 囲いの中の貯水池と町はずれのワチャケに水と緑
- 東に運河と畑が広がる(運河の線は模式)
- 人の姿は描かない
いま(遺跡)
チャン・チャン遺跡 · 現在
- 屋根はなく、壁は低く丸く崩れている(崩れ方は模式)
- ニク・アン(チュディ)の一部は修復され、保護の屋根がかかる
- 浮き彫りは薄れ、雨よけの屋根の下にある
- ワチャケは湿地になり、草が茂る
- 遺跡を道路が横切り、トルヒーヨの町が迫る
- 道路・町・屋根の配置は模式
ツアーでは同じカメラ位置のまま、この2つを切り替えて見比べられます。大囲いの数と並び、囲いの中の部屋の配置は実測図ではなく模式です。壁の高さ(約9m)、中心部の広さ(約6km²)などは資料の数字に合わせています。
2026-10-23
事実の見直し(別の担当による照合):全55項目と11場面のテロップを、UNESCO(366)・ICOMOS 評価書(1986年)、ペルー文化省の掲載資料、ゲッティ保存研究所、Day 1982・Kolata 1990(Yale eHRAF)、Moseley(SAA 追悼記事経由)、Ortloff 1995 の書誌と照らした。直したのは6項目。①大囲いの数は資料で9〜11と割れるため「確か」から「説・推定」へ(テロップも同じ印に)。文化省に出された調査報告はチャイワク・アンを含めて10と数えることを書き足した。②囲いの新しい名の出典を Wikipedia から、文化省掲載の調査報告(Avalos・Clement 2017、INC 2006年承認の名の対照)へ替え、根拠のなかった「中央の家」という訳を外した。③「模様の意味」の、海や潮の流れと読む説は Wikipedia にしか出どころがないため外し、「模様」の出典も文化省の報告(アンディーナ通信)だけにした。④壁の高さの「もっと高い」は McEwan の「30フィート以上」に合わせて出典を足した。⑤井戸の出典に Kolata を足した。広さ(20km²/ブリタニカ36km²)、始まり(850〜900年ごろ、McEwan)、インカの征服(1470年ごろ、ICOMOS)、人口の幅、壁の高さ約9m(Day)は資料どおりだった。遺骨・埋葬の中と人の顔は扱っていないことも確かめた。
2026-10-23
試作:3DCGのツアーを作成(ガイド/自由に歩く、最盛期(1400年頃)といま(遺跡)の切替、確かさ表示、出典、録画モード)。大囲い・壁・部屋・運河は手続き的に描いた模式。浮き彫りは修復された実物を写さず、波・鳥・魚・網目の簡単な模様を自分で描き「模式」と表示した。人の姿と顔は描かず、王の埋葬台は場所を示すだけにした。
2026-10-23
台本:11場面のテロップを作成。テロップの文は事実の表の文と同じにし、確かさの印もそろえた。謎の場面は最後の「いま/謎」に置いた。
2026-10-23
調査:UNESCO(366)と ICOMOS の審査評価書(1986年)、UNESCO の保全状況報告・気候変動の事例、ペルー文化省(遺跡博物館)とアンディーナ通信が伝える文化省の報告、ゲッティ保存研究所、学術書・論文(Moseley 1975、Day 1982、Kolata 1990、Ortloff 1995)、ブリタニカを中心に、Wikipedia を補助として事実の表を作成。依頼にあった数字を照合し、次のように直した。①広さ約20km²は ICOMOS・UNESCO の数字だが、約36km²とする資料もあるため「説・推定」。②大囲いは UNESCO が9、デイとモーズリーが10、チリの美術館が11と数えるため、幅をそのまま記した。③壁の高さ約9mはデイの記述。12m以上とする資料もあるため「説・推定」。④始まり850年ごろは百科事典の850〜900年ごろとし「説・推定」。⑤インカの征服は1470年ごろ(ブリタニカは1465〜1470年)。⑥危機遺産は1986年から現在まで続いていることを UNESCO で確かめた。⑦座標は UNESCO の S8°6′28″ W79°4′29″(約 -8.108, -79.075)で、依頼の値とほぼ同じ。子どもや動物の犠牲の発見の報道は、遺骨に関わるため取り上げなかった。
2026-10-23
企画の芯:地上の層・アメリカ大陸の部屋。入れない理由は「最盛期の都は消え、いまは雨と風で溶けていく土の遺跡で、多くの区画は立ち入りできない」。切替は最盛期(1400年頃)といま(遺跡)。埋葬と遺骨は扱わず、浮き彫りは自作の模式にする。