検証:事実の表47項目とテロップ40行を、UNESCO(198)、州立史跡の公式サイト、イリノイ州立博物館、査読論文などと照らし合わせた。直した点:①頂上の建物は Wikipedia だけが出典だったため、Archaeology 誌1999年の報告(南北約12m・東西約30m以上、端は失われている)に替え、「説・推定」のまま。②大広場19haは Wikipedia をやめ、講義資料(19ha)・SAH Archipedia(50エーカー)・ナショナル ジオグラフィックで裏づけ、「説・推定」のまま。③柵の建て始めは Wikipedia をやめ、1100年ごろ(公式)・1150年ごろ(Benson ほか2009)・1175年ごろ(ナショナル ジオグラフィック)の幅として「説・推定」のまま。④「周辺を含めて4万人」は出典の数字(中心部1万〜1.5万人+周辺2万〜3万人)に合わせて直した。⑤2015年の認定は、カホキアそのものではなくミズーリ州の別の遺跡の審査だったため、そう書き添えた(埋葬の中身には触れない)。⑥修道士の年代を公式サイト(1810〜1813年)と SAH(1809年に土地)に合わせた。⑦1931年に削られたのは「2番目に大きな盛り土」と明記。⑧柵の「4回」はイリノイ大学の資料が「4回建て直した」と書くため、出典を公式サイトだけにした。Wikipedia の出典はなくなった。テロップは事実の表と同じ文に直し、敬意の確認(埋葬・遺骨・聖なる図像なし、子孫の部族を祖先の場所として紹介)も行った。