時空ツアー 51 · 地上の層 · アジア · Buddhas of Bamiyan · Fact sheet
バーミヤンの大仏 事実の表
アフガニスタン中央部、バーミヤン谷の崖に、高さ約55mと約38mの二体の立像が彫られていました。6〜7世紀につくられた大仏は2001年3月に破壊され、いまは空の龕(がん)と、約750の石窟が残ります。ツアーの土台になる調査台帳です。各項目に確かさの印と出典を付け、テロップ台本と「600年ごろといま」の違いもまとめています。
層 地上の層 · アジア舞台 600年ごろ(彩色の推定)/いま(空の龕)場所 アフガニスタン バーミヤン州座標 約 34.83°N 67.82°E(西大仏の龕)更新 2026-10-23
この場所について バーミヤンの大仏は、仏教の人々にとっての信仰の場であり、アフガニスタンの人々の遺産です。破壊は資料にある事実だけを書き、爆発の様子は描きません。ツアーでは像が「ある」から「ない」へ静かに移る形で、ラベルを付けて示します。仏の姿は龕の中の簡単な形だけにし、顔は描きません(顔の上半分は2001年より前から失われていました)。壁画は写さず、自分で描いた簡単な模様(模式)にしています。いまの政治のことは、事実を短く書くだけにしています。
「確か」は公的機関(UNESCO 世界遺産センター、ICOMOS の作業報告、東京文化財研究所、外務省)、大学の資料、査読論文で確かめられたもの。色の順番や顔の仮面のように分析の解釈が入るもの、玄奘が通った年のように資料で幅があるものは「説・推定」にしています。「サルサル」「シャマーマ」は土地の後世の呼び名です。玄奘の記述は「そう書いてある」という意味で「確か」とし、書かれた中身(涅槃仏など)が実際に確かめられたかは別に印を付けています。
ナレーションなし・テロップのみ。1場面13〜16秒、全11場面で約2分40秒の試作版です。テロップの文は事実の表の文と同じで、印もそろえています。
600年ごろ(彩色の推定)
推定復元
- 西の龕に約55m、東の龕に約38mの立像が立つ(仏の姿は簡単な形だけ)
- 衣は土の層でひだをつけ、赤・青・橙などで彩色(色は分析にもとづく推定)
- 顔の上半分は金色の面で示す(木の仮面説にもとづく推定。顔は描かない)
- 崖のふもとに僧院の建物(数・形は推定)
- 石窟の壁に、あざやかな壁画(自作の模式)
- 人の姿は描かない
いま(空の龕)
バーミヤン · 現在
- 二つの龕は空になり、底に岩の破片が残る
- 西の龕には補強の足場、ふもとに破片の保管庫(位置と形は模式)
- 石窟の壁画は8割以上が失われ、残りもすすけている(模式)
- 谷には町と道路、畑とポプラ並木(配置は模式)
- 最後の場面は、2021年の光の投影を簡単な光の形で示す
- 破壊の様子(爆発)は描かず、像が消えていく変化だけをラベル付きで示す
ツアーでは同じカメラ位置のまま、この2つを切り替えて見比べられます。像と龕の高さ(55m・58m、38m・40m)と二体の距離(約800m)は資料の数字に合わせています。石窟の並び、僧院・町の配置、彩色、顔の面は推定・模式です。
2026-10-23
独立の事実確認:事実の表58項目とテロップ41行(11場面)を、UNESCO(208、地図、2024年の保全状況報告)、Springer/UNESCO の論集(2020年)、TUM(2011年)と ICOMOS 2009 の年代(WHAV の引用)、ESRF(2008年)と Cotte ほか(2008年)、東京文化財研究所の報告、名古屋大学の資料で照らし直した。直したところ:①松浦事務局長の言葉は「true cultural disaster」なので「まさに文化の災厄」に。②油彩は「調べた50」ではなく「壁画のある50の石窟のうち12」。③座標は Wikipedia をやめ、京都大学 KAAMA の位置情報(北緯約34.83度・東経約67.82度)と UNESCO の構成資産の代表点を出典にした。④2013年の東の龕の件は、ICOMOS ドイツ委員会が作った構造物で「一時中断」。「承認がなかった」は論集に書かれていないので外した。⑤2017年の会議の主催者と「4つの案」の書き方を論集どおりに。⑥破壊の日付は論集の「3月9〜11日」を添え、「数週間」は外した。⑦壁画のわらの年代は名古屋大学の測定と明記。⑧玄奘の鍮石の像の位置、2008年に見つかった約19mの涅槃仏の断片を補った。確かめた点:高さ55m・38m、年代544〜595年・591〜644年、石窟約750・壁画約50、命令2月26日・破壊3月、2021年3月9日の西の龕への投影、2023年2月の一部再開は資料と一致。CBETA の本文は接続できず、玄奘の記述は英訳(S21)と照らした。破壊は爆発を描かず、タリバンについての書き方は中立、顔は描かないことを確かめた。
2026-10-23
試作:3DCGのツアーを作成(ガイド/自由に歩く、「600年ごろ(彩色の推定)」と「いま(空の龕)」の切替、確かさ表示、出典、録画モード)。崖・龕・石窟・谷は手続き的に描いた模式。仏は龕の中の簡単な形だけで、顔は描かない。破壊の場面は爆発を描かず、像が薄れて空の龕になる変化を「模式」とラベルを付けて示した。石窟の壁画は実物を写さず、円と光背だけの簡単な模様を自分で描いた。
2026-10-23
台本:11場面のテロップを作成。テロップの文は事実の表の文と同じにし、確かさの印もそろえた。謎は「顔」「玄奘の涅槃仏」「これから」の3か所に置いた。
2026-10-23
調査:UNESCO(208)と危機遺産リスト・2024年の保全状況報告、ユネスコと Springer の論集(2020年、長岡・ブシュナキ・プラクセンターラー/ベック・谷口)、ミュンヘン工科大学の発表(2011年)、ウィーン大学 WHAV(ICOMOS 2009 の年代を引用)、京都大学 KAAMA、ESRF(2008年)と査読論文、名古屋大学・東京文化財研究所・外務省・筑摩書房の資料、玄奘『大唐西域記』を中心に、Wikipedia を補助として事実の表を作成。依頼の数字は次のように確かめた。①高さ約55m・約38mは UNESCO と一致(フランス隊は53m・35m)。②年代は東544〜595年・西591〜644年(ICOMOS 2009、TUM)。依頼の「西は600年ごろ、東は570年ごろ」はこの幅の中ほどで、西のほうが新しい。測定の途中の暫定値(東507年・西551年)は改められたので、その旨を記した。③2008年の油彩の分析は、ESRF・東京文化財研究所・C2RMF・ゲッティ保存研究所の共同で、50の石窟のうち12。④玄奘の通過は630年ごろ(年は資料で幅があるので「説・推定」)。⑤破壊は2001年3月(命令は2月26日)。日付の細部は資料で分かれるため月までにした。⑥世界遺産と危機遺産は同じ2003年で、2024年の報告でも危機遺産のまま。⑦2021年3月9日の光の投影は Al Jazeera の報道で確かめた。2015年の投影の話は資料どうしで人名が食い違うため取り上げなかった。⑧前田耕作の没年は確かめられる無料の資料が見つからず、書いていない。
2026-10-23
企画の芯:地上の層・アジアの部屋。入れない理由は「像は2001年に失われ、いまは空の龕と石窟が残るだけで、多くの石窟には入れない」。切替は「600年ごろ(彩色の推定)」と「いま(空の龕)」。仏教の信仰の場であり、アフガニスタンの遺産として敬意をもって扱う。破壊は事実だけを、爆発を描かずに示す。