時空ツアー 54 · 物語と仮想の層 · 仮想空間 · 事実の表
ARPANET 事実の表
1969年、米国の西の4つの計算機をつないだ網 ARPANET の始まりと広がりをたどるツアーの調査台帳です。RFC(網の約束事の文書)、BBN の報告と論文、UCLA に残る記録帳とクラインロックの文、地図の記録で確かめ、項目ごとに印と出典を付けています。RFC の文は短い言葉だけを引き、よく知られた手描きの4拠点の図と記録帳の画像は写さず、ことばで伝えます。ロゴと人の顔は載せていません。いまも健在の人については、記録にある事実だけを書いています。
層 物語と仮想の層部屋 仮想空間期間 1969〜1990年(2011年に3420号室が公開)年表の目安 1969年(最初の4拠点)場所 UCLA ボールター・ホール3420号室、ロサンゼルス(北緯34.069度・西経118.443度)更新 2026-10-23
この作品の「原文」
物語と仮想の層の印は、原文に書いてあるかどうかを示します。この作品では「原文」を、いまも残る文書と読みかえます。RFC、BBN の報告と論文、UCLA の記録帳(IMP LOG)とクラインロックの文、地図の記録、大学と博物館の記録です。
網そのものには形がありません。西の地図、拠点の板、光る線、IMP の箱は、記録にもとづいて描き起こした模式です。
印の意味
- 原文にそう書いてある
- RFC・BBN の文書・記録帳・地図・大学や博物館の記録に書いてあること。
- 解釈
- 資料どうしの食い違い、二次資料だけの話、日付の読み分け、ツアーの見せ方。
- 描かれていない
- 残る記録のどこにも書かれておらず、わからないこと。
英語は名前や短い言葉だけを引いています。RFC の文は長く引かず、日本語で言い換えています。クラインロック、クライン、デュバルらいまも健在の人については、記録にある事実だけを書いています。
ナレーションなし・テロップのみ。1場面12〜16秒、全11場面で約2分40秒の試作版です。切替の「1969年12月(4つの拠点)」と「1977年3月(網の広がり)」で、地図の上の板と線の数が変わります。「BBN」から「4つの拠点」まではいつも1969年の姿、「1971年」から「1983年1月1日」まではいつも1977年の姿で見せます。
1969年12月(4つの拠点)
UCLA · SRI · UCSB · ユタ大学
- 拠点は4つ。UCLA、SRI、UCSB、ユタ大学原文にそう書いてある
- 計算機は Sigma 7、SDS 940、IBM 360/75、PDP-10原文にそう書いてある
- 50キロビットの専用線でつながった原文にそう書いてある
- 約束事 NCP はまだ仕上がっていない(1970年12月)原文にそう書いてある
- UCSB の日を11月1日とするのは二次資料解釈
1977年3月(網の広がり)
BBN の完了報告(1978年1月4日)の論理図
- 1977年3月の論理図が BBN の報告に残る原文にそう書いてある
- 網はのちに50を超える拠点になった(1981年の BBN の報告。1977年3月の数ではない)原文にそう書いてある
- 1973年から海の外(イギリス・ノルウェー)ともつながる原文にそう書いてある
- メールと NCP が使われていた(TCP/IP は1983年から)原文にそう書いてある
- ツアーの板の位置と数解釈
ツアーでは同じカメラ位置のまま切り替えて見比べられます。「1969年12月」では、西の地図の上に4枚の板と4本の線だけが光ります。「1977年3月」では、西の板が増え、線が地図の東の端と海の外へのびます。1977年の板には拠点の名前を付けず、位置と数は模式と画面に出しています。1977年3月の図は、BBN の完了報告にあることを地図の一覧(S19)で確かめました。
BBN の「First Decade」報告(Report 4799)は、DTIC の PDF の本文で確かめました。完了報告(1978年)の PDF は開けず、地図の一覧(S19)で確かめました。DARPA の資料は、DARPA 向けに書かれた BBN の報告(S13)で代えています。
2026-10-23
事実の見直し(別の目で):事実の表48行とテロップ全行を、RFC 1000・4・801・2235・597、クラインロックの文(UCLA)、UCLA Samueli・Daily Bruin・Art|Sci、IEEE、計算機歴史博物館、BBN Report 4799 の本文、BBN の1970年の論文、Internet Society、ユタ大学、地図の一覧で照らし合わせた。直したところ:①BBN を「ボストンの会社」→「ボストン近郊ケンブリッジの会社」。②「50を超える拠点」は1981年の報告の言葉で、1977年3月の数ではないと明記(表・テロップ・3Dの札)。③「LO」の時刻は「22時30分ごろ」とし、22時30分は記録帳の時刻と明記。④1989年の終わりの言い方を出典(「もう無かった」)に合わせた。⑤出典の注を、Report 4799 は本文で確かめたと改めた。そのままで正しいと確かめたところ:8月30日(届いた日)と9月2日(つながった日)、SRI は10月のはじめ、ユタは1969年12月(日は一次資料になし)、LO の人(クライン・デュバル)と22時30分、メール1971/1972の両説、1983年1月1日の切り替えと flag day(ISOC の言葉)、1990年、2011年10月29日の開所。残る疑問:UCSB の日(11月1日)を書いた一次資料は見つからない。1977年3月の拠点の数は数えていない。権利:手描きの図・記録帳の画像・ロゴ・顔はなく、RFC の引用は短い言葉だけ。
2026-10-23
試作:3DCGのツアーを作成(ガイド/自由に歩く、「1969年12月(4つの拠点)」と「1977年3月(網の広がり)」の切替、印の表示、出典、録画モード)。自分で描いた米国西部の模式の地図に、拠点を光る板、50キロビットの線を光る道として置いた。IMP はロゴのない箱の模式。手描きの4拠点の図と記録帳の画像は写していない。
2026-10-23
台本:全11場面。テロップの各行に印を付け、事実の表と同じ印にそろえた。
2026-10-23
調査:RFC 1000・4・597・801・2235、BBN の1970年の論文と1981年の報告、クラインロックの文、UCLA・IEEE・計算機歴史博物館・Internet Society・ユタ大学のページ、地図の一覧で確かめた。依頼の下書きとの違い:①「8月30日/9月2日」は、8月30日が届いた日、9月2日がつながった日で、どちらも正しい。②UCSB の日(11月1日)は二次資料だけで「解釈」。③メールは1971年(トムリンソン側)と1972年(博物館・ISOC)で分かれる。④「flag day」は ISOC の言葉で、RFC 801 にはない。⑤1977年3月の論理図は BBN の完了報告にあると確かめ、切替の年をそのまま使った。⑥ARPANET の終わりは1990年だが、月日は資料で分かれる。
2026-10-23
企画の芯:物語と仮想の層・仮想空間の作品。入れない理由は、網そのものがもう動いていないから。「原文」は残る文書(RFC、BBN の文書、記録帳、地図)と決めた。ロゴ・顔・画面写真は使わず、模式だけで見せる。MUD1(41)、最初のウェブサイト(35)の扱いに合わせた。